Johnny Depp(ジョニー・デップ)氏が「Minamata」(水俣)というノンフィクション映画を日本とセルビアとモンテネグロで撮影するらしい。

Tomoko Yamamura 映画
”Minamata” W. Eugene Smith
Johnny Depp

Johnny Depp(ジョニー・デップ)は、
ドキュメンタリー映画「Minamata」(水俣)で、
アメリカの写真家W. Eugene Smith(W・ユージン・スミス)役を演じるらしい。

どんなストーリーかと言えば、


The story will start with Smith as a recluse, with the glory days of World War II far behind him. But an old friend and a commission from Life Magazine editor Ralph Graves convince him to journey back to Japan to expose a big story: the devastating annihilation of a coastal community through mercury poisoning. “Minamata” will start principal production in Japan followed by Serbia in January.

上のVASRIETYの記事より

我輩なりに意訳してみると、こんな感じ↓。

ストーリーは、スミスがすでに引退しているところから始まります。第二次世界大戦で戦争写真家として活躍した栄光の日々は過去のものです。しかし、古い友人でありライフ・マガジンの編集者Ralph Graves(ラルフ・グレイブズ)は、水銀中毒による沿岸地域社会の壊滅という大きな話を世界に暴露するために、彼に日本へ戻るよう説得しました。

映画「水俣」は日本で撮影開始され、1月にはセルビアで撮影されます。

(我輩訳)
↑”Minamata”  W. Eugene Smith
↑”Minamata”  W. Eugene Smith
↑”Minamata”  W. Eugene Smith
↑”Minamata”  W. Eugene Smith
↑”Minamata”  W. Eugene Smith
↑”Minamata”  W. Eugene Smith
↑”Minamata”  W. Eugene Smith
↑”Minamata”  W. Eugene Smith
↑”Minamata”  W. Eugene Smith

水俣病と言う悲劇が、熊本県水俣市でありました。
工場(チッソ)から排出された有機水銀が海に垂れ流され、海の魚を食べた水俣の人々が水銀中毒に苦しんだのです。
生まれてきた子供も水銀中毒でした。
この悲劇を世界に伝えてくれたのが、当時、ライフ・マガジン社の写真を投稿していたW. Eugene Smithでした。


1961年、日立のPR写真撮影のために来日。1970年、アイリーン・美緒子・スミスと結婚。ともに、チッソが引き起こした水俣病の取材活動をした。1972年1月、千葉県市原市五井にあるチッソの工場を訪問した際に、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が会社側の雇った暴力団に取り囲まれ、暴行を受ける事件が発生する。スミスもカメラを壊された上、脊椎を折られ片目失明の重傷を負う。この事件でスミスは「患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった」と自らの苦しみを語った。その後『ライフ』1972年6月2日号に「排水管からたれながされる死」を発表した。

Wikipedia ユージン・スミスよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9

「Minamata」と言う映画を、
ハリウッド・スターであるJohnny Deppが主演してくれると言うのは
なんともありがたいことです。

それでは、また。

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