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アニータを待って

Ниш(ニーシュ)市内
アニータを待って
この記事は約3分で読めます。

我輩、川べりや山道を歩く際、出来るだけ
「こんにちは」
と、すれ違う人に挨拶するようにしている。

ある人は、挨拶を返してくれるし、
ある人は、怪訝そうな顔をして何も返事をくれない。

その中でも、飛び切りの笑顔で挨拶してくれた女性がいた。
彼女、裸足で歩いていたので、印象に残っている。

2~3日後、Нишка Бања(ニシュカ バーニャ)からの帰り道、また、彼女に会った。
今度は、薄いサンダルを履いていた。
我輩「こんにちは」
彼女「こんにちは。私はアニータ。」
と手を差し出してきた。
「我輩は、ケイイチ。」
アニータは英語を話す。
幼稚園の先生をしていること、
未婚の母であること、
インドや中国に興味があること、
中国に行きたいけれど、息子が行きたくないと言ってること。
彼女のおしゃべりは止まらない。
やがて、彼女の帰る橋に着く。
「もう少し、話しましょう。もう一つ向こうの橋まで、一緒に行きましょう。」
「いや、貴女はまっすぐ帰った方がいい。どうせまた会えるよ。」
「そうかな。それじゃあ、さようなら。」
「さようなら。」

その次の日から、我輩はНови Сад(ノヴィ サッド)に出かけた。

我輩、旅先での約束は出来るだけ守るようにしている。
昔、タイを歩いていたころ、コ・サムイという島で、一人の女の子に
「また、来るね」
と言ってしまったがため、
何か月か後、インドから日本への帰り道に
コ・サムイによる羽目になってしまった。
今でこそ、コ・サムイは大きな観光地だけれど、
我輩が行った頃(20~30年ほど前)は、本当に何もない島だった。
ワザと、賑やかな場所とは遠く離れた場所に宿をとったため、
夜は真っ暗で、
猿とも鳥とも分からないケモノの、奇妙な鳴き声が響いた。
「また、来るね」
という約束を守るため、コ・サムイに来たのは良いが、
その娘は別の宿で働いていた。
どうやってその宿まで行ったのか、我輩はどこに泊まったのか、
それすらもう覚えていないが、
彼女の誕生日が最近あって、確か14歳か15歳になったはずだった。
どこかで買った誕生日プレゼントのハンカチを持ってその宿まで行った。
その宿は、いっぱしのホテルと言っても良いような大きな建物、大きな敷地で、
どう案内を乞うたのかも覚えていないが、
一人の女性が彼女を連れてきてくれて、
英語の分からない彼女の為に通訳までしてくれた。
我輩の持ってきたハンカチを
「きれいだ」
と言って、はにかんで喜んでくれたのを覚えている。
彼女も仕事で忙しかったのだろう、会えたのは5分もなかった。
ここまで来るのは大変だったし、会えたのも一瞬だったが、
それでも、約束を守って、会いに来た甲斐はあった。

そういう思い出もあるので、アニータに
「どうせまた会えるよ」
と言ったのだから、
何とか会わねばならない。
我輩は、彼女と出会った場所で、何日でも待つことにした。

ここは、ロマ(ジプシー)が水浴びをする場所で、
彼らの馬ものんびりと草を食ってる。

ロマの水浴び場

では、また。
みなさんにもイイ事がイッパイありますように!
\(^∇^)/シャ~ッ(祈)!♪
(祈りの力は実はスゴイ!)

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コメント

  1. bunji_ より:

    アニータさんには会えました?
    気になる~

    • Keiichi より:

      bunji_様
      そんなコメント、嬉しいなぁ~!
      続きは、また書きますね。
      いつもありがとうございます!

  2. cachaca より:

    アニータさん、帰国までに会えましたか。もし会えなかったら、keiichiさんが近々またセルビアに行く運命ってことなんでしょう(^^)
    コサムイ、ウチも83年に行ったときはサルがそばまでくる海辺の小屋に泊まりましたが、94年に行ったらホテルが林立してました。

    • Keiichi より:

      cachaca様
      コメントありがとうございます。
      アニータのこと、また書きますね。
      コ・サムイ、だいぶん、変わったでしょうねぇ~…。
      のどかなコ・サムイを知ってるcachaca様や私は、幸せですね。
      今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
      日本への長旅(!)、楽しんできます!

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