堂々と生きる

信念
我輩の邸宅見える夕陽
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以前にも書いたけれど、

苦手な人への対応方法
職場でも、学校でも、家庭でも、 この社会で生きるために最も問題となるのは、人間関係であろう。

葦原瑞穂氏の書いた「黎明」の中に出てくるお話。
ある人を守っている守護霊のような存在。
その存在が、このままその人(守護霊が守ってる人)が進むと車に轢(ひ)かれることを察知した。
そこで、その守護霊のような存在は、その人のすぐ近くにいる子供の守護霊にお願いして、その子供が持ってるアイスクリームを、その人にぶつけた。
その人は驚いて、立ち止まった。
そのお陰で、車はそのまま通りすぎ、その人は車に轢かれずに済んだ。
その人は、子供に感謝してよいはず。
しかし、その人は、ただ、その子供に怒鳴り散らした。
「なに、すんねん!」

このお話から分かることは、
自分の周りに起こることは、
すべて自分の為に、
自分を見守ってくれている存在がアレンジしてくれたこと。
一見、ひどいこと、理不尽なことに思えても、
実は、自分を守るために、自分を優しく見守ってくれてる存在がアレンジしてくれたことなのだ。
そう思えば、どんなことにも腹など立てる必要はない。

ただし、自分が守らなければならないことがある。
それは、自分が、堂々と生きていること。
自分が悪いことをしているなどと思っておれば、
堂々と生きられない。
法律がどうの、人の目がどうの、という話ではない。
自分が正しいと思って、堂々と生きていること。
自分があの世に行って、先に逝っている母や祖母や祖父に、
堂々と胸を張って会えるような生き方をしていること。

時には、他人と衝突することもあるだろう。
その時は、自分も正しいが、相手も正しい、
という可能性があることを頭に入れておくこと。
キリスト教の神が正しいのか、イスラムの神が正しいのか。
両方とも正しいのだろう。
それを前提に堂々と生きる。

読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんにもイイ事がイッパイありますように!
\(^∇^)/シャ~ッ(祈)!♪
(祈りの力は実はスゴイ!)

肉体は滅びても、魂は永遠の存在。
我輩、あの世の存在を信じておるので、死ぬことは怖くない。
野垂れ死にも、また一興。
天国は良いところだろうし、地獄に行くことになっても、まぁ、仕方ないし、何とかなるだろう。
問題は、何故、今のこの世に生まれてきたのか?
おそらく、何か、この世で、我輩が為さねばならぬ宿題があるはず。
その宿題をきちんとやり遂げたい。
その宿題をやり終えた時、あの世からのお迎えが来るはず。

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