人を傷つけたいと思うとき

夏 生き方
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人を傷つけたいと思うとき、それはたいてい、自分がうまく行ってないとき。
そのイライラを、自分よりも弱い者、ひどい時は、自分を愛してくれている者にぶつけてしまう。
何と悲しいことだろう。
自分を慕(した)う者を、傷つけるなんて...。

私は、私を諭(さと)さなければならない。
考えてみるがいい。
いずれ、人はこの世を去って、あの世へ行く。
その時に、この世で出会った人たちと再会するのだ。
その時に、私は、この世で自分の為したことすべての意味に気づき、
とても申し訳なく思うだろう。
自分を愛してくれる人、自分を慕ってくれる人を
傷つけるなんて、なんて馬鹿なことをしたのだろうと
とても申し訳なく、
とても情けなく思うだろう。

逆に、自分を傷つけようとした人たち、
それは、その人たち自身がうまく行ってなかったからだ。
そのことに気付けば、その人たちを必要以上に恨むこともあるまい。
自分が傷つけられようとした時、
自分を守るために、怒るのは必要だろう。反撃も良い。
だが、いつまでも怒りや恨みに引きずられてはならない。

自分が傷つけてしまった人たちについては、
謝(あやま)るしかない。
心の中で、誠心誠意、その人たちに謝罪して、
その人たちの幸せを祈る。
そうしたら、もう自分自身を許してあげよう。

自分を傷つけた人たち、傷つけようとした人たちについても、
許してあげよう。
なぜ、彼らがそんなことをしたかと言えば、
彼ら自身がうまく行ってなかったからだ。
自分の気持ちの整理が難しいかも知れないけれど、
許してあげよう。
憎み続けるより、
よりよい未来へ、前へ進もう。

この世を生きる時、
なかなかうまく行かない時もあるだろう。
その時に、神様の視点、天国の両親や祖父母からの視点で
自分の行動を鑑(かんが)みる事が出来れば、
よりよい未来へ、前へ進む事が出来るだろう。

自分も含めて
全部許してしまうのがいい。

まず、怒りや恨みの感情に引きずられないこと。
次に、うまく生きるコツとして、
陰徳を積むのが良いのではないだろうか?
人は、人に親切にすることは、自分も嬉しい。
でも、親切をしても、分かってもらえない時は?
ここで、神様の視点、天国の両親や祖父母からの視点を思い出す。
あの世から自分を見てくれている人が居る。
あの世から自分を見てくれてる人は、
自分が人知れず人に親切にしたことも知っている。
誰かのために何か親切をしてあげた時は
その誰かは気付かなくても、
その誰かをあの世から見守っている人
(その人のお母さんかも知れないし、
おじいちゃんやおばあちゃんかも知れない)
はちゃんと見てくれている。

高い視点から見てみよう。
陰徳を積もう。

読んでくださり、ありがとうございます。
自分への諭(さと)しとして、書いております。
人には親切にしたいものです。

みなさんにもイイ事がイッパイありますように!
\(^∇^)/シャ~ッ(祈)!♪
(祈りの力は実はスゴイ!)

夏

肉体は滅びても、魂は永遠の存在。
また、次の世へ進んで行く。

問題は、何故、今のこの世に生まれてきたのか?
おそらく、何か、この世で、我輩が為さねばならぬ宿題があるはず。
その宿題をきちんとやり遂げたい。
その宿題をやり終えた時、あの世からのお迎えが来るはず。

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