我輩は、人間に最も危険な感情は
「寂しさ」
だと考える。
「寂しさ」ゆえ、人は過ちを犯す。
本来の自分でない者に身をゆだねてしまう。
逆に言えば、
寂しさに強い人間は、
本来の自分であり続けられる。
自分の正しいと思う道を歩き、
悔いのない人生を送れるであろう。
「寂しさ」に身をゆだねてしまったとき、
人は、根拠のない不安に襲われる。
何が不安なのかも分からないまま、
何とかしようと、わけもなくあがいてしまう。
これは、危険だ。
この世界を浮遊している何者かに憑依されてしまう危険が増す。
決して、
「寂しい」などと思ってはならない。
むしろ、その孤高を楽しむのだ。
そして、根拠のない「自信」を持つのだ。
自分のこれまでの人生に悔いなど持ってはならない。
精一杯生きてきたことを、自らに誇るのだ。
人に迷惑をかけてきたこともあるだろう。
しかし、あなたの、我輩の、
この自分自身の存在が人に勇気を与えてきたことも事実なのだ。
人を恨むこともあるかもしれない。
いずれ、この地球も、太陽の消滅と共に滅ぶのだ。
宇宙全体が膨張のはてに、爆発して消滅するかもしれない。
小さなことにくよくよしないでほしい。
全て許してしまえ。
自分自身も含め、全て許してしまえ。
そして、これまで生き延びてきたことを、生きてきたことを
何がしかの影響をこの世界に与えてきたことを誇るのだ。
信じてほしい。
あなたは、我輩は、自分自身のこれまでの人生を
胸を張って誇れるのだ。
そして、もうひとつ。
これは、本当に大事なことだ。
あなたは、我輩は、決して一人ではない。
あなたの周りに誰もいないとき、
あるいは、
あなたの周りにとても多くの人がいるけれども、
あなた自身がどうしようもない寂しさを感じるとき、
信じてほしい、
お天道様はいつも優しく見守ってくれてるよ。
お天道様でも、天国のお母ちゃんでも、おばあちゃんでも、
おじいちゃんでも、ご先祖様でも、神様でも、高次自己でも、
ハイヤーセルフでも、なんでもいい、
とにかく、あなたを、我輩を
優しく見守ってくれている偉大な存在があるのだ。
間違いない。
寂しくてどうしようもないとき、
根拠のない不安に襲われるとき、
あなたを優しく見守ってくれている存在に祈ろう。
「守ってください」と。
それだけで、あなたは守られる。
結界が張られ、憑依されることもない。
根拠のない自信を持つのだ。
本来の自分を保ち、
しっかりと自分の道を歩むのだ。
変化を恐れてはならない。
むしろ、この先に何があるのか分からないことを
ワクワクして楽しむのだ。
変化を恐れてはならない。
あなたは一人ではない。
あなたを優しく見守ってくれている偉大な存在がある。
読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんにもイイ事がイッパイありますように!
\(^∇^)/シャ~ッ(祈)!♪
(祈りの力は実はスゴイ!)
肉体は滅びても、魂は永遠の存在。
我輩、あの世の存在を信じておるので、死ぬことは怖くない。
野垂れ死にも、また一興。
天国は良いところだろうし、地獄に行くことになっても、まぁ、仕方ないし、何とかなるだろう。
問題は、何故、今のこの世に生まれてきたのか?
おそらく、何か、この世で、我輩が為さねばならぬ宿題があるはず。
その宿題をきちんとやり遂げたい。
その宿題をやり終えた時、あの世からのお迎えが来るはず。
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