癒学 自然治癒力発揮法 無能唱元(むのうしょうげん)師

癒学 無能唱元 信念

1.無能唱元(むのうしょうげん)師

何年か前に、
「無能唱元(むのうしょうげん)師が亡くなった」
というつぶやきが
ツイッターで流れてきた。
時代の流れを感じた。

一時、我輩もこの無能唱元師や、中村天風師に
ハマった時期がある。
今でも、もちろん尊敬してるが、
かつては、両師の著作をそれこそむさぼり読んだ。

中村天風師は、その来歴から、天風師自身が自信にあふれ、
天所高所から我々凡人を一喝する趣がある。
その著作も、天風師自らが語ったことを編纂した本は1万円以上する。

一方、無能唱元師は、自らも貧困に苦しみ、
病気を克服せんと奮闘努力された経験から、
「神秘学」を提唱され、
怖れながら、とても身近な存在に思えた。
売られている本も、普通に本屋さんで気軽に手に取る事が出来る値段だと思う。
少なくとも、我輩は1万円以上する無能唱元師の本を見たことがない。
中村天風師に比べて、我輩には庶民的な感じがする無能唱元師である。

中村天風師からは
「そんなことでどうする!
積極一貫、もっと強く生きろ!」
と叱咤激励され、
無能唱元師からは
「あなたが今何か困難に直面されてるならば、
自らの内面を見つめなおされては、
どうでしょうか?」
と優しく問いかけられた。

2.阿頼耶識(アラヤシキ)

無能唱元師は、いろいろ著作を著されてますが、
その根本に
「阿頼耶識(アラヤシキ)に良いイメージを入れよう」
というものがあります。
この「癒学」も
阿頼耶識(アラヤシキ)に病気が快癒したイメージ、
健康になった自分をイメージを
送り込もうと言うものです。

仏教哲学には、人間を救済するための非常に秀れた「学」の遺産があるのです。
この学の名前を
「唯識学」といい、その中心となる思想を「阿頼耶識(アラヤシキ)」といいます。
このアラヤ識という言葉は、いってみれば記憶の貯蔵庫というほどの意味ですが、人の心の奥底にあるもう一つの心、つまり現代語でいえば、潜在意識という言葉に匹敵しましょう。
しかし、このアラヤ識はただ単なる人間の意識にとどまるものではなく、それはこの大宇宙を出現させた「梵(ぼん)」という根元意識と相通ずるものであり、人間の感ずるあらゆる現象は、このアラヤ識により発現させられた、と見ているのであります。
(癒学 102ページ)

アラヤ識 癒学103ページ

このアラヤ識に働きかけて、自らの自然治癒力を発揮させようと言うのが
本書です。

3.瞑想法

このアラヤ識に働きかける方法、
良いイメージを送り込む方法として
瞑想が薦められてます。
本書で薦める瞑想の方法を次に引用します。

 瞑想についての一番簡単な解釈は
「眼を閉じて、しかも眠らないこと」ということです。
勿論、これでは単純すぎ、瞑想の意義をいい表したものという訳では決してありません。しかし、その状態を外面より見るならば、この眼を閉じて、しかも眠らない方法という表現はかなり当を得たものなのです。

椅子にかけるか、正座して、背すじを真直ぐにのばします。
壁に寄りかかったり、ソファに深々と沈むのはよくありません。なぜなら、これだとすぐ眠り込んでしまう恐れがあるからです。この点、背を真直ぐにしていると、眠るとすぐいわゆる舟をこぐ状態になり、ハッと気がつくからよいのです。
「眼を閉じて眠らずにいる」これが肝心です。こうしていると、心が次第に安らかになってきます。良い瞑想の十五分は、優に一晩の睡眠に匹敵する肉体の賦活力を有しているといわれます。そして、睡眠に優る効果は、前記しました体内に有益物質を生産し、有害物質を排除するという作用を行なう点です。
すなわち、目を閉じて、ぼんやりとしているだけで
「治癒力は自然に発揮されてくる」のであります。
(癒学 98ページ)

 

4.想念治療とは

また、本書「癒学」では、自らの病気を治すだけではなく、
自分以外の人の病気をも治す方法についても記されています。

二十五才のある独身女性の話です。
お母さんが急性肝炎で倒れ、入院しました。一時は、危険状態がつづき、意識不明のまま一晩が過ぎたのです。
この女性は、マインド・コントロールとか意識の力などについての勉強をしていましたので、その夜、瞑想に入り、次のような空想をしました。
まず、目を閉じ、呼吸法をつづけて、心を落ちつかせ、身体がリラックスしてきたところで、肝臓の形をイメージとして、頭に思い浮かべました。
しかし、彼女は当然それまで、人間の肝臓など見たことはありません。そこで、人体解剖図と、あとは肉屋で見たことのある牛の肝臓の色を参考にして思い描いたのです。
そして、それがお母さんの肝臓であり、その一部に傷がついており、そこから血が少しづつにじみ出ているという映像を、精神集中して思い浮かべようとしたのです。
やがて、その映像が見えてきたところで、何と彼女は、その傷口を針と糸で縫い合わせ始めたのです。針は普通の木綿針、糸も白い裁縫用のものでした。それを使って、ゆっくり入念に、一針一針縫って行ったのです。
傷口はしっかりと縫合され、血はやがて止まりました。そこで、彼女は瞑想からさめ、眠りについたのです。その間、約二十分間でした。
驚いたことに、翌日、お母さんは奇跡的に回復していたのです。病室へ入った彼女は、点滴のゴム管がすでにお母さんの腕からはずされているのを見、ついで、お母さんがにっこり笑いかけるのを見た時、
「昨日のあの想念が効いたのだ」と確信したとのことです。
その後、お母さんは間もなく退院し、今はとても元気に暮らしております。

多くの人は、このような話を偶然といいます。
しかし、しばしば、宗教や信仰的な治療あるいは祈りで、現代医学では見放された病気が治った例は非常に多いのです。
(癒学 44ページ)

我輩も
「祈りには力(ちから)がある」
と真剣に信じております。
誰かを助けてあげたいとき、
「祈ることしかできない」
と言いますが、
「祈る」だけでも、大きな助けとなります。

人間の想念は、時空を超えて、波動となって旅をするのであります。
(癒学 44ページ)

これらのことを
「非科学的だ。迷信だ。」
と片付けてしまうのは簡単です。
ですが、現代科学で説明できないことはまだまだたくさんあるのです。
誰かがテレパシーの能力を得たいと強く想念したからこそ
携帯電話がこの世に出てきたのかも知れません。

読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんにもイイ事がイッパイありますように!
\(^∇^)/シャ~ッ(祈)!♪
(祈りの力は実はスゴイ!)

肉体は滅びても、魂は永遠の存在。
我輩、あの世の存在を信じておるので、死ぬことは怖くない。

問題は、何故、今のこの世に生まれてきたのか?
おそらく、何か、この世で、我輩が為さねばならぬ宿題があるはず。
その宿題をきちんとやり遂げたい。
その宿題をやり終えた時、あの世からのお迎えが来るはず。

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