許すという事

Petrovaradin Fortress in Novi Sad 信念
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先日、
「もしもゴースト(霊)に出会ったら」
という記事を書いた。
もしも、ゴースト(霊)に出会ったら、
話しを聞いてあげて、
もしも、恨みや、心残りが、この世にあるのならば、
もう終わったことだし、自分自身も含めて
全て許してしまったらどうか、
とすすめてみようという記事だった。
何もかも全て許した時、きっと天国に行けると
思う。

私が、まだ良く分からないのは、
天国に行けないで、
この世に恨みや心残りがあるゴースト(霊)を
どうして、神様や、そのゴースト(霊)自身の
ご先祖や守護霊は、
そのゴースト(霊)を救ってやらないのだろう?

やはり、神様もご先祖様も完全ではないのかも知れぬ。
ただ、完全ではないにしても、
私たちを見守ってくれてることに違いはないのだから
やはり、尊敬するよね。

あるいは、もしかしたら、天国に行かずに、
この世で苦しんでいるというのも、
ひとつの修行というか、学びなのかもしれない。

いずれにしろ、
神様はいるだろうし、
自分のご先祖様も自分を見守ってくれてるし、
ゴースト(霊)自身にもご先祖様がいるはずだから、
ゴースト(霊)を必要以上に怖がる必要はないと思う。

で、もしも、ゴースト(霊)に出会ったら、
話しを聞いてあげて、
もしも、恨みや、心残りが、この世にあるのならば、
もう終わったことだし、自分自身も含めて
全て許してしまったらどうか、
とすすめてみようと思うのだ。
ただ、その大前提として、
自分自身が、全てを許しきれていなかったら、
説得力に欠けてしまう。
だから、私も、自分自身を含めて
全てを許してしまおうと思う。

「自分自身を含めて」許してしまおうなんて、
何か都合が良すぎるような気がするかも知れないけれど、
ひとしきり反省したら、同じ過ちを繰り返さないようにして、
次に進めばいいと思う。
そして、迷惑をかけた人や生き物が居たら、
心の中で十分お詫びすればいい。
身勝手かもしれないけれど、
将来(次の世かも知れない)大きな仕事をするために
前に進み続ければいいと思う。

さて、そう思えば、本当に怖いものがなくなるはずだ。
どんな状況であれ、
何か偉大なもの、それは、神様かも知れないし、
ご先祖様かも知れない。
その何か偉大なものが、いつも私たちを見守ってくれている。
そう信じれば、
ゴースト(霊)に出会っても、
ゴースト(霊)が天国に行く手伝いが出来るだろう。

何かに直面して、
怒ったり、悲しんだりするのはいいと思う。
ただ、それに引きずられないことが大事。
全て、自分自身も含めて、全て許してしまおう。

Petrovaradin Fortress in Novi Sad

読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんにもイイ事がイッパイありますように!
\(^∇^)/シャ~ッ(祈)!♪
(祈りの力は実はスゴイ!)

肉体は滅びても、魂は永遠の存在。
我輩、あの世の存在を信じておるので、死ぬことは怖くない。

問題は、何故、今のこの世に生まれてきたのか?
おそらく、何か、この世で、我輩が為さねばならぬ宿題があるはず。
その宿題をきちんとやり遂げたい。
その宿題をやり終えた時、あの世からのお迎えが来るはず。

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