安心立命(あんしんりつめい)
心を安らかにして身を天命にまかせ、どんなときにも動揺しないこと。人力のすべてを尽くして身を天命にまかせ、いかなるときも他のものに心を動かさないこと。
初め儒学の語であった。
仏教語では「あんじんりゅうめい」「あんじんりゅうみょう」と読む。
新明解四字熟語辞典
この境地に達してみたい。
確か、中村天風先生の著作の中にこんな話があったと思う。
天風先生がインドで修行されているときに、
師であるカリアッパ師が、天風先生に問うた。
「野原を歩いているときに後ろをひょっと見たら虎が追いかけてきた。
そこでたまらぬと逃げ出して、どこか安全なところはないかと遙か向こうを見ると大きな松の木が天に向かってそびえている。
これだ!と言うんで松の木に登って、チョイと下を見ると、その末の木の枝のでている先は千尋の谷になっている。
ここなら虎も来まいと安心していると、
ひょいとみた頭の上から大蛇がお前を飲もうとして、近寄ってきた。
上に大蛇、下に虎、困ってひょいと足元を見るとツタが谷に向かってぶら下がっている。
これだ、これだ、これにぶら下がれば虎も大蛇も近寄れまい、と思い、
ツタにぶら下がった。
これでやれ安心と思ったのもつかぬ間、手元に何か怪しい響きが伝わってくる。ひょいと上を見るとその捕まっているツタの根をリスがポリポリかじっているのが見えた。
さて、どうする?」
天風先生は、心の中で、
「何も慌てることはないじゃないか、
切れるまでは生きているんだから。
切れて落っこちてからのことは、落っこちて後から考えればいいさ」
と考え、
にっこり笑って、カリアッパ師に答えたそうです。
「落っこちるまでは生きていますから、そのまま安住しています。」
これを聞いて、カリアッパ師は、
「偉い!それなら先々見込みがあるぞ。それが人間の世の本当の有様じゃ」
と言ってくれたそうです。
天風先生は、
取り越し苦労や心配は
余計なものだ、
とおっしゃっています。
我輩もそう思います。
明日、目が覚めるか覚めないか、なんて、人智を超えてます。
少なくとも、我輩には分からない。
だから、ともかく今この一瞬を精一杯生きて、
今夜でこの世とおさらばしても悔いの無いように生きようと思います。
読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんにもイイ事がイッパイありますように!
\(^∇^)/シャ~ッ(祈)!♪
(祈りの力は実はスゴイ!)
肉体は滅びても、魂は永遠の存在。
我輩、あの世の存在を信じておるので、死ぬことは怖くない。
野垂れ死にも、また一興。
天国は良いところだろうし、地獄に行くことになっても、まぁ、仕方ないし、何とかなるだろう。
問題は、何故、今のこの世に生まれてきたのか?
おそらく、何か、この世で、我輩が為さねばならぬ宿題があるはず。
その宿題をきちんとやり遂げたい。
その宿題をやり終えた時、あの世からのお迎えが来るはず。
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