我輩は、キリスト教徒でも、仏教徒でも、イスラム教徒でも、ヒンズー教徒でもありません。
ごく普通に、
12月24日、25日には、クリスマス(キリスト教)を祝い、
12月31日には、お寺(仏教)の除夜の鐘を聞き、
1月1日には、近くの神社(日本神道)に初詣に行きます。
一般的な(?)日本人らしく、無宗教と言うか、多宗教と言うか、
特にどこかの宗教団体に深く帰依しているという事は、ありません。
家に、布教に来る方々のお話は、出来る限り聞いてます。
エホバの証人さんでも、創価学会さんでも、実践倫理宏正会さんでも、共産党さんでも、霊波之光さんでも、
どなたでも、時間があれば、お話聞いてます。
ちなみに、我輩の母親のお葬式は、完全に無宗教で、
「お別れの会」と言う形でした。
しかし、我輩には、信じている事があります。
それは、いわゆる「あの世」です。
来世も、前世もあって、この世とは違う異次元の世界の存在を信じます。
そして、その異次元(高次元)の世界から我輩を見守ってくれている存在を信じます。
それは、「神様」でも、「創造主」でも、「ご先祖様」でも、「母さん」でも、「高次自己」でも、
「守護霊」でも、「ハイヤーセルフ」でも、「お天道様」でも構いません。
誰かが、我輩を見守ってくれてます。
さて、「前世」から「あの世」異次元(高次元)に戻り、また「この世(今世)」に来て、また「あの世」へ戻る・・・。
そう信じると、「この世(今世)」の生き方を考えなければなりません。
「人生はこの世だけ。死んだら、何もない。」
と考えて生きるのとは、全く違った生き方になります。
まず、死ぬことは怖くありません。むしろ、幸せなのかもしれません。
次に、なんで、我輩はこの世にいるのか?
日本と言う国に、この平成と言う時代に、
身長157cm、体重47kg、男性と言うスペックで、
なぜ、存在しているのか?
きっと、「この世(今世)」でやるべき、なにか、目的と言うか、勉強と言うか、使命みたいなものがあるのだと思います。
それが、何なのか、まだはっきりとは分かりません。
ただ、「この世」で学ぶことが、まだまだたくさんある事は間違いありません。
明日死ぬかもしれないという覚悟で日々生きることは大切ですが、
まだまだ貪欲にもっと多くの事を学んでいきたいと思います。
我輩がこの世を去って、あの世で、
母さんをはじめ、お世話になった皆さんと再会した時、
胸を張って会えるよう、頑張ります。
写真は、我輩。
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