下の動画をご存じだろうか?
熊の親子が雪山を登っている動画である。
母熊は、何とか登りきることができるのだが、
子熊はなかなか登れない。
何度も滑り落ちる。
この動画は、ツイッターでも紹介され、
いろいろな人がツイートしている。
例えば、次のような感じ↓
Willpower and perseverance / Hêza vînê û behnfirehî / Sabir ve irade pic.twitter.com/K29x2fDMAC
— Mutlu Civiroglu (@mutludc) November 3, 2018
さて、ここで、
YouTube動画なら1分18秒、
ツイッター動画なら51秒
の場面なのだが、
あなたにはこれが、
母熊が子熊を助けようとしているように見えるか?
それとも、
母熊は子熊をもう一度下へ落として鍛えようとしているように見えるか?
我輩は、最初、何の疑いもなく、
母熊は子熊を助けようとしているのだ
と思って観ていた。
しかし、
ツイッターの中の意見には、
「母熊は『楽をしようとしてはいけません。もう一度、自分で道を見つけて登ってきなさい』と言っているのだ」
「成功者の家族は、このように子供たちを育てるのです」
等々の意見も流れていた。
我輩は、熊のことはおろか、犬や猫も含めて、
動物のことは何も知らないが、
同じ動画を見て、
まるで違うように見えることに
驚いた。
あるいは、動画の中で2回ほど
飛行しているモノの影が映る。
最初に動画を観た時、
我輩には、普通に鳥が飛んでいるな、ぐらいにしか
思えなかったのだが、
ツイッターの中には、
「猛禽類が飛んでいるため、母熊が怯(おび)えている」
「いや、母熊が怯えているのは、ドローンだ」
という意見があった。
そう言われれば、
母熊は確かに何かに怯えているようにも見える。
そして、それは、猛禽類を警戒しているのか?
それとも、
ドローンを警戒しているのか?
ツイッターの意見の中には、
雪山登山をする方からの、
この雪面がいかに危険であるかについての
指摘もあった。
これも、我輩には、何も分からない。
登り終えたあと、
走り去る親子に
「嬉しそう。楽しそう。」
という意見もあれば、
「猛禽類を警戒して、急いで避難している」
「ドローンが熊の親子を怯えさせている。ドローンは、全くけしからん。」
という意見もあった。
結局、我輩には、最初にこの動画を見た際、
「熊の親子が雪山をノンビリ登ってて、
子熊はなかなか登れないが
母熊はどうやって助けていいか分からず、
オロオロしていたが、
なんとか子熊が登り終えたら、
お腹の空いた母親は、
子熊を連れて急いで走り去った。
めでたし。めでたし。」
ぐらいにしか思っていなかった。
しかし、観る人ごとに
感想は変わるのだ。
自分の考え方には、
「フィルター」
がかかっていることを
ともすれば忘れてしまう。
「母親」は優しいものだと思う人は
「母熊が子熊を助けようとしている」ように見えるし、
「母親」は厳しいものだ、あるいは、厳しくあらねばならぬ、
と思う人には
「母熊が、『もう一度やり直し』と言っている」ように
見える。
そして、もちろん、
自分の持っている知識の量によって
理解の度合いは異なってくる。
動物のことが何も分からない我輩には、
母熊が猛禽類、あるいはドローンに対して
怯えている、警戒している、
とは思いもよらなかった。
日常の場面で、
自分が怒ったり、泣いたり、
喜んだりする背景には、
自分の勝手な思い込みがある事に
まずは
注意しなければならない。
そして、おそらくは、
自分の思いもよらない背景や原因が
あるものなのだ。
できるだけ客観的に注意深く
物事を見るよう心がけるだけで
かなり生き易(やす)くなるように
思う。
読んでくださり、ありがとうございます。
何かの参考になれば嬉しいです。
みなさんにもイイ事がイッパイありますように!
\(^∇^)/シャ~ッ(祈)!♪
(祈りの力は実はスゴイ!)
肉体は滅びても、魂は永遠の存在。
また、次の世へ進んで行く。
問題は、何故、今のこの世に生まれてきたのか?
おそらく、何か、この世で、我輩が為さねばならぬ宿題があるはず。
その宿題をきちんとやり遂げたい。
その宿題をやり終えた時、あの世からのお迎えが来るはず。
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