生きる意味

信念
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我輩は、看護助手として、大学病院の手術室の掃除をしておる。
手術室というのは、映画やテレビで見るように、
お医者さんでも、看護師さんでも、我輩のように看護助手でも、
新しい機械を説明する業者さんでも、誰でも、術衣(手術着)を着なければならない。
お医者さんは青色、看護師さんはピンク、など、色やデザインに若干違いがあるけれど、基本的には、機能優先のデザインで、個性は出ない。
頭には手術キャップを被(かぶ)って髪の毛を隠さなければならないし、
鼻から下は大きなマスクで覆う。
そのうえで、手術台に上る医師や看護師は滅菌されたオペレーションガウン(下の写真の青いガウンね)を着る。
お医者さんでも、看護師さんでも、我輩のように看護助手でも、
新しい機械を説明する業者さんでも、外から見える表情は「目」だけである。

写真は、ワザと血が写らないように撮られているが、
実際は、もっと血だらけである。(当たり前か)
上の写真の部屋、我輩を含む、派遣業者が、心を込めて毎日掃除をするのだ。(誇り)
ちなみに、うちの手術部の場合、手術室は17室ある。

このように、外から見えるのは、基本的に「目」だけ。
あとは、オーラのようなもの。
見る人が見れば、全部わかってしまう。

どういうわけか、うちの大学病院のお医者さんの術衣(手術着)はボロボロで
股間のチャックやボタンが壊(こわれ)れているものなど普通である。
サイズもそろっておらず、ダボダボかキチキチ。
優れた外科医たるもの、そのような些細(ささい)なことに気を取られてはいけないと言うことか。
ただし、各科教授用の術衣は別扱いで、アイロンももちろんかけてある。
看護師さんの術衣も、マジックやボールペンのシミだらけであったが、最近、
新しい術衣を病院が購入したようである。なかなかカッコイイ。
ちなみに、教授用以外で、一番きれいでまともな術衣は学生さん用である。
医学部5・6年生の学生さんが、カリキュラムの一環として、実習(見学)に来る。

さて、本題である「生きる意味」について書く。

数年前、身体の左側に麻痺のある、医学部の学生さんが実習に来た。
小柄な女性であった。
歩く時も左側を引きずるような感じであった。
食道胃腸外科の実習に来ていたのだろう、食道胃腸外科の先生お二人の後ろをついて、手術部の廊下を歩いていた。
で、なんと、その女子学生、廊下で躓(つまづ)いてコケてしまったのである。

どういうわけか、うちの手術部の廊下、滑(すべ)りやすく、同時に引っ掛かりやすい。
つまり、躓(つまづ)きやすい...。
数年前に手術部を含む大きな改修・増築工事があって、新品同様のはずなのに、
床は捲(めく)れるし、手洗い場(先生や看護師さんが手術に手を洗う所)の水道圧力はおかしいし、手抜き工事としか思えない。

さて、女子学生さん、躓(つまづ)いてコケてしまったのだが、身体に麻痺があるため、自分で起き上がれないのだ。
先生お二人は話に夢中になって、どんどん先へ進む。
やむを得ず、我輩は、その女子学生さんのところに行って
「大丈夫ですか? 起き上がれますか?」
と聞いた。助け起こしてやればいいのだろうけれど、
恥ずかしながら、
相手は、身体に麻痺のある人だし、若い女性でもあるので、
どう手助けすればいいのか、分からなかったのだ。
「起き上がれません。助けてもらっていいですか?」
と女子学生さんが答えた。
この時点で、やっと食道胃腸外科の先生お二人が、学生さんが倒れていることに気づき、
「大丈夫?」
と走って駆けよって来てくれた。
結局、お医者さんお二人が女子学生さんを助け起こし、
そのまま3人で歩いて行った。

さて、さらに数年後、
今度は研修医として、その女子学生さんが、うちの手術部に来たのだ。
頑張りはったんやね。
無事、お医者さんにならはったんやね。
ホンマ、頑張りはったんやね...。
というのは、たまたまかも知れんし、あくまでも我輩の主観なんやが、
麻痺がひどくなっているように見えたから...。

これは、我輩の勝手な想像だが、
この女子学生さん、小さい頃に病気が見つかって、
少しずつ病気が重くなっていって、
「それなら、自分で治してやろう」
「同じような病気の人がいるから、その人も治してやろう」
とお医者さんを目指したんじゃなかろうか。
(もちろん、我輩の勝手な想像ですよ)

で、見事国家試験に合格して、お医者さんになれて、
いよいよ研修医として修業の開始だ!
というところで、まだ、病気の進行が止まらない...。
もしかしたら、違う人だったら、
「このまま病気が進行すれば、身体の麻痺はますます重くなり、
自分はおろか、ほかの患者さんの治療などできるのだろうか?
医者としての修行なんて意味無いんじゃないか?」
と絶望してしまうかもしれない。

30年以上前、我輩は、筋ジストロフィー症患者を支援するボランティア団体に居たことがある。
筋ジストロフィー症とは、慢性的に骨格筋の筋力低下が進行し、歩く、立つ、起き上がる、手足を動かすことなどの運動機能も低下していく進行性の病気。
その患者さんたちは、長い入院生活の中、社会復帰に向けて、いろいろな訓練を行うのだ。
しかし、
「どうせ体が動かなくなるのなら、訓練なんて、意味無いんじゃない?」
って、思わない?

でも、我輩、最近やっと気が付いたんです。
我輩も、どうせ死ぬんです。
100歳は超えたいと思ってるけど、
たぶん200歳になったら、死んでる。
どうせ死ぬんだから、努力なんて、意味無いんじゃないの?
そう、麻痺のある研修医さんや、筋ジストロフィー症患者さんと
同じなんです。

さぁ、ここで、我輩のブログタイトル
「命は無限。では、どう生きる?」

この世に、こんな形(男。身長157センチ。体重47キロ。日本。)で、生まれてきたのには、なにか意味があるのでしょう。
そして、この世での肉体が滅んでも、魂はまだまだ生き続けます。
もしかしたら、新しい宿題、あるいは、やり残した宿題をやりに、また、この世に生まれ変わってくるかもしれない。
だから、どんな状況下でも、強く生きようとする姿勢は大事なのだ!

身体に麻痺のある女医先生、この世での課題を見事にやり遂げつつあると思います。
そのうちの一つは、我輩にも勇気をくれたことです。
それも立派な「医業」ですな!
ありがとうございます!

肉体は滅びても、魂は永遠の存在。
我輩、あの世の存在を信じておるので、死ぬことは怖くない。
野垂れ死にも、また一興。
天国は良いところだろうし、地獄に行くことになっても、まぁ、仕方ないし、何とかなるだろう。
問題は、何故、今のこの世に生まれてきたのか?
おそらく、何か、この世で、我輩が為さねばならぬ宿題があるはず。
その宿題をきちんとやり遂げたい。
その宿題をやり終えた時、あの世からのお迎えが来るはず。

読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんにもイイ事がイッパイありますように!
\(^∇^)/シャ~ッ(祈)!♪
(祈りの力は実はスゴイ!)

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