無駄な日なんて1日も無い

どんなに回り道をしたように見えても、
どんなに無意味な1日に見えても、
この人生の中に、
無駄な日なんて1日も無い。

以前、「黎明」の中で葦原瑞穂先生が書かれていた、
アイスクリームを服につけられた男の話を紹介した。
確かこのような話だったと記憶している。
ある男を見守っている高次の存在
(それは、お天道様かも知れないし、神様かも知れないし、
ご先祖様かも知れない)
が、その男がこのまま道を歩いていくと、車にはねられて大怪我をすることを察知した。
高次の存在は、それを防ぐため、たまたま近くでアイスクリームを食べていた少年に頼んで、あるいは、少年を見守ってる高次存在に頼んで、その男の服に少年のアイスクリームを擦り付けた。
男はびっくりして立ち止まり、そのお陰で、その男をはねるはずだった車は、何事もなく走り去っていった。
男は少年に感謝こそすれ、怒っていいはずはない。
けれど、男は車には全く気付かず、ただ服に擦り付けられたアイスクリームのことしか目に入らず、少年に対して怒りを覚えた。

つまり、いかに目の前の出来事が理不尽な、腹の立つことに見えても、
本当は、感謝すべきことなのかも知れないってこと。
そう簡単に、全ての事に感謝するのは難しい。
それに、少なくとも、高次の存在の意図をちゃんと受信できなきゃいけない。
高次の存在は、優しく、あなたを、我輩を見守ってくれて、いつもメッセージをくれてるはず。
そのメッセージは、とても微弱なラジオ電波のようなもので、私たちの精神はラジオ受信機のようなもの。その微弱な電波をしっかりと受信できるよう、日々、練習するのみ。
練習している、修行しているという気持ちさえあえれば、大丈夫。
お天道様はいつも優しく見守ってくれてるよ。ホントだよ。
何も怖くない。
たとえ、本当に無駄な時間だったと思えても、その虚(むな)しさをすべて受け入れてしまえばいい。そして、自分自身も含めて、全て許してしまえばいい。

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